品川隆幸の古今東西(35)~世代交代、社長交代~

 

 

(株)シナガワ創業44年

 

我が(株)シナガワは、今年で創業以来44年間。よくもまぁ、潰れずに続いてきたものだと思う。かつて一念発起して独立を目指したのは昭和47年2月。当時私は30歳で創業した。しかし、起業して一年であの第一次オイルショックがやって来た。

 

いきなりやって来たのは原材料の高騰だった。特にゴムは石油製品であるから、とんでもない材料不足と高騰に見舞われた。第一次オイルショックは中東戦争がきっかけだった。第二次オイルショックは産油国( OPEC)が談合して石油高騰を招いた。

(株)シナガワ創業の記録。この木の切り株からパッキン作りが始まった。
(株)シナガワ創業の記録。この木の切り株からパッキン作りが始まった。

 

 時代背景と私生活の節目

 

私事ではあるが、ちょうどこの頃私生活にも、様々なイベントがあった。

 

・昭和46年 結婚

・昭和47年 シナガワゴム製作所 創業

・同年  長男誕生

 

そしてその頃、日本も世界も大きく動いた。

 

・昭和47年8月 ドル・ショック、ニクソン・ショック 

・昭和48年 沖縄諸島、日本に復帰

・昭和49年 第一次オイルショックで、激動の時代の始まり。

      この年、スーパーからティッシュペーパーが消えた。

      物価も高騰。

・平成景気 インフレ経済。土地、物価上昇。国民皆投資ブーム。

・平成2年 湾岸戦争危機。イラクがクェートへ侵攻。

・平成3年 バブル経済崩壊。湾岸戦争へ発展。

・平成4年 世界の環境破壊が大きく進み、地球サミット開催。

・平成7年 阪神淡路大震災。大規模災害。

・平成20年 リーマンショック。

 

私の起業は、スタート時は惨憺たる状態であったが、不況や激動の時期を逆手に取り、逆境をバネに成長した。そして創業25周年の時には、本社工場に加えて営業本部と配送センターも新設し、飛ぶ鳥を落とす勢いで前進した。このままどこまでいくか?と考えたが、どこまでもこのままの調子で行けると過信があった。そしてそこに油断があった。

 

私自身の傲慢さと自身過剰な行動は、社内全体に蔓延した。結果、売り上げは急降下し、同時に社員の士気も落ちていった。このことに気づいた私は、慌ててタガを締め直した。その後会社は持ち直し、なんとか窮地を脱することができた。

 

思えば、ついこの間のことのようだ。よく乗り越えてこれたものだと思う。長いようにも思うが、人生は案外短いように思う。ここまで生きてこられたのは、もちろん自分自身の努力もあるが、目に見えない力のおかげというか、強運に恵まれたからのようにも思う。

 

会社が倒産の危機に見舞われたことは、1度や2度では無い。そして何度か死ぬ思いもした。それでもなんとか生きながらえ、無事に会社も息子へと事業継承を果たした。ようやくここまで来れたという安堵感と達成感がある。そして、一抹の寂しさもある。

 

しかしおかげさまで私はまだまだ元気だ。これからもまた別の目標に向かって、次のステップを進みたいと思う。このブログもまた、腰を据えて書いていこうと思っている。

 

社長交代の実際

 

さて、ここからは私の社長交代の話を書こうと思う。

 

(株)シナガワの社長交代は、平成28年にしようと3年前から宣言していた。そしてその通りに実行できた。二代目社長の息子は、よく育ってくれたものだ。今年、平成28年6月1日より、新人事で組織体制も変え、スタートを切った。

 

しかし、物事というのは案外すんなりとは進まないものである。私の場合もそうであった。「自然に、なるようになる。」とできるだけゆったり構えていたつもりでいた。しかし、以前の記事にも書いた様に、最初の社長交代は見事に失敗に終わり、私は引退するつもりが、急遽社長に返り咲くということがあった。

 

本来は、2代目社長は息子ではなく、他人に交代しようと思っていた。間に他人が入った方が、親子の馴れ合いもなくうまくいくだろうと思っていた。しかし、そうは問屋が卸さなかった。2代目社長にしようと思っていた当時の専務は、ギブアップして社長交代の座から降りることとなり、そこからまた方針転換。私は、次期社長は息子に引き継ぐことを決心し、周囲にも宣言した。

 

今から思えばそれが自然の流れだったのかもしれない。何か、人智を超えた存在がそう采配したかの様にも思える。所詮、私の考えなど小さいもので、もっと別の大きな流れが、(株)シナガワという会社の行く末を見守り、導いてくれているような気持ちにすらなる。思い返せば不思議な心持になる。

経営者としての踊り場

 

しかし、そういった導きがあるのも、コツコツと地道に積み上げてきたことが、結果となっているのだろうと思う。思い返せば、平成22年に社長交代を決断し、息子二人を本部長に据えて、経営体制を立て直した。5カ年計画の目標を掲げ、事業計画を作成。経営会議は社長の私を抜きにして、若い者だけで進行させた。

 

そしてある程度任せてみて、しっかりした手応えを感じた。この調子なら、息子二人を経営者とし、今の若い者たちでやっていけると思った。そして平成25年には社長交代の意思を宣言した。6年間積みげてきたことが本当に今年形になった。やはり「継続は力なり」の言葉の意味を実感する。夢に描き、書面にも残してきたことが、ようやく実現した。

 

株主総会も無事終了。銀行関係、取引関係の皆様に報告も終わり、快諾してただいた。今ようやくほっとしているところだ。おかげでようやくこうしてブログを書こうという、心のゆとりもできてきた。44年間経営者として突っ走ってきたが、ここへきてやっと肩の荷が下りた。

 

さて、これからどうするか?会長になったらやりたいと思っていたことが色々あったはずだが、どこから手をつけようか。今踊り場に立って、前方を眺めているところである。

 

パーツ加工から複合装置の開発まで。ハードとソフトを融合し、モノ作りを総合コーディネート。"

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