品川隆幸の古今東西(34)復活その二~3度目の生と死の間~

3度目の生と死の間

 

2014年11月に新本社工場が完成するまでは、寝る間を惜しんで悪戦苦闘の連続だった。

息をつく間も無く次々と仕事をこなし、ようやく念願の新工場も完成した。

 

やれやれと思い、ホッとした瞬間に気が抜けたのか、風邪をひいてしまった。

もう12月の本格的な寒さが到来していたので、その寒さが祟ったのか、完全にこじらせてしまった。

 

しかしだからと言って休むこともできず、体調の悪さを押して仕事に集中した。

そんな状態で年末まではなんとかやり過ごしはしたが、正月休みにはすっかり寝正月となってしまった。

咳が止まらなくなっていたので夜も眠れず、辛い状態が続いた。

 

元来医者嫌いの私であるが、ついにかかりつけ医の元へ走り、助けを求めた。5年前(2009年)に免疫不全で死にかけたことがあったが、医者にかかるのはそれ以来である。

 

私はどちらかというと自分の体を過信する傾向にある。

昔は無節操に食っていたが、今では日々の食事には気を使っている。

睡眠も十分にとっている。おかげで風邪をひいてもこじらすことなく治っていた。

しかし今回の風邪は一月経っても快方に向かわず、とうとう病院へ駆け込んだのが2月に入ってのことだった。

 

まずは病院でレントゲンを撮った。

診断した医師はそれを見て驚いた。

 

「まずは近くの総合病院へ紹介状を書きますので、すぐにそちらで見てもらってください。」と言うではないか。

とにかく、紹介してもらった病院へ直行することになった。

そして一刻の猶予もなく精密検査を受けるようにと伝えられた。

 

行った先の総合病院での検査によると、私の症状は風邪から肺炎を併発し、かなり重症とのことだった。

そして注射と点滴を打たれ、2~3日で症状は改善し、咳も止まった。

それまでひどい咳で夜も眠れなかったのが嘘のように解消された。

この時処方された薬の力には驚いた。

医学の進歩はすごいものだと実感した。

 

しかしこのとき行った血液検査で、腎臓の数値が悪いということが指摘された。

肺炎の症状は良くなったものの、腎臓がかなり弱っているとのこと。

風邪や肺炎によって、そんなに腎臓が悪くなるものだろうか?

素人の私にはよく分からなかったが、医師は直ちに人工透析が必要だと言った。

その理由は、腎臓が弱ることによってすでに全身に尿毒が回っており、尿毒症の一歩手前の状態とのことだった。

 

2年前からの病の兆し

 

そう指摘され、思い当たることがあった。

確かに2年ほど前からおしっこの出が悪く、常に残尿感があった。

1日のトイレに行く回数も増え、夜中も2~3度尿意で目がさめるようになっていた。

 

しかし同年代の人の多くは同じような症状を訴えており、歳をとるとそういうものだと思っていたので、大して気にもしていなかった。

 

それにしても腎臓の数値も年に一度の精密検査では正常値であった。

なのにそんなに急激に、人工透析を必要とするほど悪くなるものだろうか?

 

この時の検査では、腎臓の状態を示すクレアチニンの数値が8mg/dlだった。

この8mg/dLというのはちょうど、これ以上あがると人工透析が必要となるギリギリの数値だった。

また、炎症反応物質であるC反応性蛋白(CRP)が7mg/dlという。

これは体内にかなりの炎症を起こしている証拠であり、危険な状態だそうだ。

また同時に尿素窒素も72mg/dlと数値が異常に高い。

100以上あると尿毒症だそうだ。

その時の私は、どこから見てもかなり危ない状態であったようだ。

従って、即精密検査ができる専門医を紹介され、転院となった。

 

転院後2日間に渡って検査を受けた。

その結果、やはり尿毒症になりかけているとのことだった。

ここまで悪いと通常が即人工透析を行うそうだ。

そうすれば尿毒症は免れるとのこと。

しかし、どうも合点がいかない。

人工透析を行えば一生続けることになる。

よって合点のいかないことを、医者の指示だからとそのまま受け入れたくはなかった。

 

私は「人工透析は嫌だ。」と返答した。

すると応急処置としてカテーテルを入れて膀胱に残った尿を抜いてもらい、再度泌尿器科で精密検査を受けることになった。

おかげでまた転院となる。

 

転院先では泌尿器科の名医と言われるE医師に診察してもらい、もう一度最初から検査をやり直すこととなった。

その間入れてもらったカテーテルのおかげか、腎臓の数値は快方に向かい、食欲も久しぶりに出てきた。

 

実はこの2年ほどは食欲もなく、体重もみるみる落ちていき、周囲の人間からも「痩せたなぁ~。」と言われる状態だった。

しかしその食欲不振がこのカテーテルを入れただけで随分改善され、食いたいという意欲が湧いてきた。

食欲が落ちたのは年のせいだと思い込んでいたが、どうもそうではなかったようだ。

飯が美味いというのは本当に幸せなことだ。

おかげで減る一方だった体重も、少しづつ戻ってきた。

 

カテーテルを入れたおかげで残尿感も無くなり、おしっこの出方も若い頃のように快調に出る。

おまけに食欲も戻って体重もかなり復活した。

すっかりそれで気をよくした私は、医師にカテーテルを抜いてみてほしいと頼んだ。

もう良くなったと思ったからだ。

しかし、その期待はあっという間に砕かれてしまった。

朝カテーテルを抜いたばかりなのに、おしっこが出ずに腹が苦しくなり、夕方にはまた痛い思いをしてカテーテルを入れてもらうハメになった。

なんともこれが元の木網というものか…。

 

その間E医師はPSA検査(前立腺癌検査)を行うことを提案してくれた。

先日撮ったCTやMRIでは前立腺は特に肥大していなかった。

通常はこの画像を見ただけでは前立腺癌を疑うことはない。

しかし、E医師は念のために検査しようと言った。

 

そして検査の結果、数値は高かった。

これは前立腺癌になっている疑いが高いということだ。

そこで早速生検をとって調べることとなった。

この生検検査というのは、実際に前立腺から細胞を切り出し、癌になっていないかを調べる検査だ。

入院は4~5日必要とのこと。今度は入院しての検査となった。

 

写真提供:自然療法「森の学校」
写真提供:自然療法「森の学校」

 採取した細胞が全て癌だった

 

生検検査の結果、12ヶ所から採取した細胞が全て癌だった。

どうやら私のおしっこが出ない理由は、この前立腺に蔓延った癌が尿道を締め付けていたためであり、腎臓の数値の悪さもこの癌が原因であることがはっきりと分かった。

そうと分かると次は転移していないかどうかを調べる必要がある。

癌だと分かって一瞬血の気が引いたものの、衝撃を受けて落ち込んでいる暇はなかった。

 

前立腺から骨盤やリンパに転移するケースが多いらしい。

そこですぐに骨シンチ(骨シンチグラフィー検査)とリンパの検査を受けるためにまた別の病院を紹介された。

幸いまだ初期の癌だったために他への転移はなかった。

思わずホッとして胸をなでおろした。

 

今回癌の発見が早かったのは、肺炎を起こして病院へ駆け込んだお陰だった。

「肺炎のお陰で助かったね。」と医師に言われたが、なんとも複雑な心境であった。

しかし早期発見できたおかげで、治療の方向性も色々考える余地がある。

さて、この癌をどう始末したものだろうか…。

 

医師からは治療の方法として次のようなものを提示された。

 

1)前立腺の切除手術

 

2)ホルモン療法

 

(ホルモン剤によって癌の餌となる男性ホルモンを低下させ、癌細胞への兵糧攻めを行う方法。)

 

3)放射線治療

 

4)局所的抗がん剤治療

 

(腹に穴を開けて、腹腔鏡で前立腺につながる血管を塞ぐ。

そして前立腺だけに抗がん剤を注入する方法。

抗がん剤が全身に回らないので、副作用が少ない方法とのこと。

ただしこの方法はE医師が考案した方法で、他では執刀医がいないとか。)

 

私は「兵糧攻めにします。」と即答した。

ホルモン療法は男性ホルモンの分泌を抑え、女性ホルモンを投与する。

そのため性欲がなくなったり、場合によっては女性の更年期障害と同様の症状が出る場合もあるらしい。

しかし、他の方法よりも体へのダメージが少ないと思われた。

 

早速ホルモン療法が開始された。

しかし、そのホルモン剤の注射の高額なこと!

命と引き換えとはいえ、あまりにも高い。

まったく、癌宣告に加えてさらに追い討ちのパンチを食らわされた気分だ。

ため息が出る。

 

しかし、1週間もせぬうちに結果が出はじめた。

前立腺癌の腫瘍マーカーであるPSA数値が下がり始めた。

一瞬これで癌が治ったと思ったが、それは違っていた。

単に癌は兵糧攻めにあって弱り、おとなしくなっているだけらしい。PSAが下がって単純に喜んでいる私に医師は冷たく、「薬のおかげで癌がおとなしくなっているだけです。

数値が下がっても、おしっこの出が良くなるわけではありませんよ。」と言った。

確かにその通りだ。

おしっこがしっかり出ないとまた腎臓が悪くなる。

それではまた尿毒症へと逆戻りだ。

となると、やはり前立腺を切除しなくてはならないのだろうか?

 

 

写真提供:自然療法「森の学校」
写真提供:自然療法「森の学校」

癌を切らないという決断

 

再度E医師はCTとMRIを撮り、前立腺を切るかどうかの検証に入った。

私としてはさっさと前立腺を切り飛ばした方が憂いがなくていいと思った。

しかし細部にわたって調べた結果、前立腺の一部が大腸に癒着していることが分かった。

これでは前立腺と一緒に大腸の一部も切ることとになり、その結果人工肛門をつけることになるという。

何ということだ。人工肛門は死んでも嫌だと思った。

さて、ならばどうする?

 

膀胱にカテーテルを入れたまま、2週間が過ぎた。

そしてE医師からステント手術の提案があった。

ステント手術とは、狭くなっている尿管に金属製のステント(管)を入れて尿道を確保し、おしっこの出が良くなるようにする手術らしい。

 

このステントは網目の筒状の金属で、患部に応じて長さや太さを調節できる形状記憶合金だそうだ。

この形状記憶合金は、最初小さいサイズで挿入し、患部で60℃のお湯をかけて膨らませるそうだ。

当然全身麻酔をするので痛くも熱くもないらしい。

また、2、3日で退院できるそうだ。

この提案に私は手術を受けることを即決した。

 

しかし、手術をするということの本当の苦しみはこの後に味わうこととなった。

全身麻酔は危険を伴う。

稀に意識が戻らないこともあるそうだ。

そして意識は戻っても、不用意に体を動かすと、その副作用として頭痛や腰痛がしばらく続くこともあるそうだ。

私の場合は意識は無事に戻ったものの、体を長く動かすことはできなかった。

6時間ぐらい経って麻酔が切れてくると、下腹に猛烈な痛みが襲ってきた。

痛い上に動けない。

まるで拷問を受けているようだった。

体にメスを入れるということは、大きなダメージを伴うものだと痛感した。

 

しかし、5月28日に入院し、31日には退院することができた。

退院後は、これまですっかり忘れていた気持ちの良い放尿感に感動した。

まるで20歳に戻った気分だ!

3ヶ月間膀胱にカテーテルを入れて生活していたので、この気持ちの良い開放感は天にも昇る思いだった。

いや、これは決して誇張ではない。

体験した者ならみな同様に思うことだろう。

病気と名医に恵まれた自分は、なんと幸運かと思う。

開放感とともに復活を完全に意識した瞬間だった。

 

しかし、事はそう簡単には運ばなかった。

写真提供:自然療法「森の学校」
写真提供:自然療法「森の学校」

自力の食事療法と復活

腎臓を良くするために処方された薬が、今度は肝臓にダメージを与えている事が分かった。

これまで毎年の健康診断では肝臓はいたって健康だった。

なのに突然肝臓の数値が一気に上昇。

すぐにでも肝臓の治療が必要と言われた。

これではまるでモグラ叩きではないか。あっちを治せば、こっちが悪くなる。

これではなんのための薬かわからなくなる。

 

そこでとにかく、腎臓と肝臓の薬をやめてもらった。

そしてここからは自力で食事療法に専念することにした。

食事のバランスを見直して、体のデトックスを促すことにした。

それには生きた酵素を取り入れるために毎朝スムージーを飲み始めた。

そしてさらに必要な栄養素はサプリメントでも補うことにした。

定期的に軽い運動も行い、マッサージも受け、睡眠も十分とるようにした。

 

そのおかげか、体調は徐々に良くなり、食欲も増し、体重も元に戻った。

あれほど食欲が落ちていたのに、今は何を食べてもうまい。

しかし暴飲暴食は避け、できるだけ節制してはいる。

おまけによく眠れる。

きっとこれは、体が回復するために睡眠を必要としているのではないかと思う。

以前は4、5時間の睡眠時間だったのが、今は毎日8時間から9時間は眠れる。

また、それだけの睡眠時間を確保する生活のリズムに変えた。

そして、とうとう毎週の通院が3ヶ月に一度で良くなった!

E医師は少しつまらなそうな顔をしていたが、私は大変嬉しい。

 

最近はようやく、この1年を振り返って考えられる余裕が出てきた。

まったく、よくここまで回復したものだと思う。

一時期は毎日仕事には行くものの家では居間に布団を敷いて、半寝たきりだった。

一応出社はするが、毎日フラフラだった。

そこから思うと奇跡の回復だと思う。

「まだ自分は仕事をしろ!と天から言われているのかもしれない。」と周囲に言って、笑えるようになった。

 

生と死は紙一重。

人間は、いつ何時死に直面するかは分からない。

そのくせ、生きることはたやすくはなく、大変である。

生きているだけで精一杯のときもある。

その大変さ、重さを改めて味わっている今日この頃である。

そして、生かされている実感がしみじみと湧いてくる。

さぁこれからは、皆様にお礼参りと恩返しをしなくてはと思う。

 

それにしても、時々E医師の言葉が蘇る。

 

「品川さんはもう、『男』は卒業でんな。

もうよろしいでっしゃろう。

今までせんど遊びはったから…。

もう十分やから用事なくなったいうて、男の癌になるんですわ。」

 

奇跡の復活は、「男」の卒業と引き換えのようだった…。

嬉しくはあるが、寂しいものである。

 

まったく、複雑な心境だ。

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